Dec 26, 2009
Dec 23, 2009
McDonalds in US
Dec 17, 2009
Stupid ○z○w○
これと時を同じくして、米軍普天間基地の移設問題について、政府は先送りを決めた。社民党、国民新党との連立維持という政局上の事情を日米同盟よ りも優先させたことになる。小沢氏が民主党議員140人を引き連れて訪中したことも合わせ、この政権の米国軽視、中国傾斜の姿勢が明確になった。
それにしても、小沢氏の14日の記者会見は異様だった。小沢氏の言動を以前から見てきたものとしては、「やんちゃぶりは変わっていないなあ」と思わせたのだが、テレビで見た国民は総選挙中のえらく愛想のよかった小沢氏との落差を見せつけられて愕然としたに違いない。
産経新聞が小沢氏の会見のもようを忠実に再現して報じていたので、さわりの部分を紹介しよう。一カ月前に文書で申請する「30日ルール」にのっと らないで天皇との会見が行われることになった経緯についての質問からはじまる。以下を読んでいただければ、小沢氏のものの言い方がよくわかる。
天皇陛下は小沢氏の使い走りか?
「30日ルールって誰がつくったの? 知らないんだろ、君は。法律で決まっているわけでも何でもないんでしょ、んなもの。君は日本国憲法を読んでるかね」
「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」
「なんとかという宮内庁の役人(羽毛田信吾宮内庁長官)が、どうだこうだいったそうだけども、日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない」
「しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。・・・もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょ、役人なんだもん」
「天皇陛下のお身体がすぐれない、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか。そうでしょう? わかった?」
「天皇陛下はご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?」
といった調子なのだが、こうしたやりとりからいくつかのポイントが浮かび上がる。
中国との関係強化のため、鳩山政権が「ごり押し」
ひとつは、習近平副主席との会見が国事行為であったのかどうか、ということだ。憲法第3条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」とある。これを受けて、第7条で国事行為として10項目が記載されている。
その中には「外国の大使及び公使を接受すること」はあるが、外国要人との会見は含まれていない。外国要人との会見はこの3条、7条の国事行為ではなく、象徴的な地位に基づき公的な立場で行う「公的行為」として位置づけられている。
宮内庁は外国要人との会見が政治的に利用されないよう、周到に配慮し、天皇と政治との距離を保つことに腐心してきた。30日ルールは、天皇の公務が過多 にならないよう体調管理の側面から打ち出されたものだが、宮内庁にとっては、政治利用のそしりを受けないように検討するための準備期間ともいえた。
今回のケースは習金平氏が次期国家主席に間違いないとされるため、中国との関係強化をはかりたい鳩山首相側が、中国側の強い求めに応じ、30日ルールを破って宮内庁に要請したものだ。「ごり押し」と取られても仕方あるまい。
会見が実現したことで、中国側は満足し、小沢氏は中国側から見れば「小沢氏に頼めばなんでもやってくれる最強実力者」として認識されることにな る。ルールを無視し、政治的に重要だからとして、一カ国だけの要請を受け入れれば、そこに政治的意味が生ずる。これはどう見ても「政治利用」ではないか。
宮内庁長官の対応は、天皇の政治的中立性を守るうえで当然
羽毛田長官は小沢氏の「辞任すべきだ」発言を受けて、「陛下の政治的中立性を守るのが私の役回り」として、辞任の考えはないことを表明した。当然といえ ば当然だ。羽毛田氏を更迭するような事態になったら、鳩山政権はいよいよ「天皇の政治利用」を認めたことになってしまう。
小沢氏は宮内庁長官を「一役人」と切って捨てたが、宮内庁長官というポストは皇室のありようを担保していくという意味で、ほかとは違う重要性をも つ。羽毛田氏は厚生事務次官出身だ。厚生事務次官は事務の官房副長官になるケースが多かったことでも知られるが、旧内務省の中軸官庁としての伝統意識があ る。
羽毛田氏が天皇の政治的中立性を保とうと配慮してきたことは十分に分かる。平野官房長官が「総理の意思」として再三にわたって会見設定を求めてき たとき、「私のクビを取ってからやってくれ」と拒否していたら、もっとよかったとも思うが、まあ、重要な問題提起をしたのだから、これでいい。
「政治主導」の意味を履き違えていないか
小沢氏は「優位性の低い行事はお休みになれば」と天皇のスケジュールの内容に踏み込んだり、天皇ご自身は「お会いしよう」というはずだと述べたりした。 これはいかにもまずい。天皇のご心中を忖度してはいけない。これがまかり通ると、天皇よりもときの政権の意思を上位におくことになってしまう。
民主党の主張してきた「政治主導」「脱官僚」とは、こういうことだったのだろうか。そういう観点から見ても、今回のケースは重要だ。そこのけそこのけで、何でも思うがままというのが政治主導だというのであれば、これは壮大な勘違いという以外にない。
天皇を国家の中心におくという2000数百年にわたるシステムは、国家の統治構造からみても、世界に稀有なものであるし、すぐれた統治形態といっていいのではないか。武家が「内乱」を起こし、国の覇権を争った時代でも、朝廷は超然として存在し続けた。
国家の中心に「空」としての存在である天皇を位置づけているがゆえに、国のまとまりを担保し続けることが可能になった。つまり、政治的中立性を常 に保ってきた存在だ。これが現在の象徴天皇に引き継がれており、国家、国民のアイデンティティーを形成している。あのGHQ(占領国軍総司令部)も、天皇 を中心としたこの国の体制(国体)を認めざるを得なかった。
これを維持していくためには、政治指導者の周到な配慮が求められるのは当然だ。鳩山政権は、いとも簡単に重要な一線を越えてしまったようにも見受けられる。そこになんともいえないこの政権のあやうさがついてまわる。
岡田克也外相が国会開会式での天皇の「お言葉」について、表現を変えてはどうかといった発言をした。これも受け取り方によっては、政治利用につながりかねない。今回の臨時国会で、天皇がこれまでとは違う表現を使ったら、政権交代を支持していると受け取られかねないのだ。
中国への気づかいの一方で、日米関係はどうするのか
さて、中国が大満足する一方で、日米関係はがたがたである。鳩山首相は普天間の移設問題を先送りした。来年5月までに決めたいという意向のようだが、こ れは予算を成立させるまでは、社民党を連立政権に抱え込んでおく必要があるためだ。社民党が離れると参院での過半数維持が難しくなるのである。
そういう政局の事情をアメリカ側に理解するゆとりなどないのではないか。アフガン問題で行き詰まり、国内には医療保険問題などに直面して、オバマ政権の支持率はガタ落ちだ。日本にかまってはいられないというのが本音だろう。
普天間移設はもともと日本側の要請である。10数年かけて名護市のキャンプ・シュワブへの移設が決まった。日米間の国家同士の合意を、政権が変わったからといってホゴにしてしまっていいとは思えない。
民主党には「日米中正三角形」を説く人が多いが、確固たる日米同盟があって、その上に立って対中関係を構築するというのが筋であることは、いうまでもない。
Dec 15, 2009
Hideki Matsui
松井秀は、2003年以来7年間在籍したヤンキースに対する愛着が強く、残留を希望していたが、左翼手と先発投手獲得を優先したいヤンキースは松井秀を「ランクC」の選手と位置づけ、積極的な交渉を行ってこなかった。
ワールドシリーズでMVPに輝きながら、ヤンキースの評価は低かった。この“冷遇”ともいえる態度に対し、ヤンキースからの提示を受ける前にエンゼルス入りを決めた格好だ。
エンゼルスが松井秀獲得に動いた理由には、エンゼルスのDHとして6年間活躍したウラジミール・ゲレロ選手(34)の衰えがある。今季のゲレロは足の故障から100試合の出場にとどまり、打率・295、15本塁打、50打点に終わっている。
一方の松井秀は今季、打率・274、28本塁打、90打点と活躍した。特にワールドシリーズ最終戦での6打点でMVPに輝くなど、ここ一番での勝負強さを発揮。ひざに不安を抱えてはいるものの、DHとしてはトップクラスの実力を示した。
また、エンゼルスの本拠地、カリフォルニア州アナハイムは年間を通じて暖かく、ひざに故障のある松井秀にとっては好環境ともいえそうだ。
マリナーズと同じア・リーグ西地区ということで、イチローとの対決も増える。体調さえよければ、松井秀の打撃はまだまだ伸びる可能性がある。ニューヨークからアナハイムに舞台を移しても、ゴジラの力強いバッティングが期待できそうだ。
Dec 14, 2009
Dec 11, 2009
Dec 7, 2009
M1 2010
1.ナイツ(マセキ芸能社)2年連続2回目
2.南海キャンディーズ(※)4年ぶり3回目
3.東京ダイナマイト(※)5年ぶり2回目
4.ハリセンボン(※)2年ぶり2回目
5.笑い飯(※)8年連続8回目
6.ハライチ(ワタナベエンターテインメント)初出場
7.モンスターエンジン(※)2年連続2回目
8.パンクブーブー(※)初出場
※よしもとクリエイティブ・エージェンシー
Dec 6, 2009
Top Secret
本年6月6日、「核ハザードの危険を隠してきたNHKシル
クロード番組に関する公開質問状」と題する書状が、NHK会
長・福地茂雄氏あてに突きつけられた。差出人は札幌医科大学
・高田純教授である。その一節には、こうある。[1,p72]
私は、核爆発災害研究の専門科学者として、世界の核被
災地を調査してまいりました。そして、中国共産党がシル
クロードの要所であった楼蘭遺跡周辺での総威力22メガ
トンの核爆発により世界最悪の災害が発生したことを、確
認しました。
その総核爆発は、広島の核の1375発分です。現地では
100万人以上のウイグルの人たちが死傷しているのです。
・・・
その地域の被害は、広島の被害の4倍以上です。まさに
世界最大の核災害です。被害者たちは、中共政府に放置さ
れています。今、史上最悪の人権人道問題が発生している
のです。日本は唯一の被爆国ではありませんでした。
NHKは中国軍に引率されて、核爆発が強行された周辺に
ある楼蘭遺跡を、1980年に取材しました。その後に放送し
たシルクロードロマン番組は、その核の事実を隠蔽した、
全くもって偏向した内容になっています。すなわち偽装番
組でした。・・・
NHKのシルクロード番組に魅せられて、核爆発が続いた
1996年までに日本人観光客27万人が現地を訪れたという。そ
こが放射能に汚染された危険地域だとも知らされずに。
■2.「危険地域だったという認識は、持っておりません」■
20日ほど後、NHK大型企画開発センター長・佐藤幹夫氏
名で、以下のような回答書が寄せられた。[1,p75]
「NHK特集 シルクロード」は、東西文明の壮大な交流
の道をたずね、その悠々の歴史と現在の姿を紹介したシリ
ーズで、1980年に放送が始まりました。シルクロードのほ
ぼ全域で外国メディアによる本格的な取材を行ったのはこ
の番組が初めてで、学術的にも貴重なエリアを紹介したこ
とはきわめて意義深いことだったと考えております。
この番組の撮影を起こった場所が、核実験によって放射
能に汚染された危険地域だったという認識は、放送当時も
現在も持っておりません。
以上、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
高田教授がさまざまなデータをもとに科学的に放射能被害を
推定しているのに対して、根拠もなにも示さずに「危険地域だっ
たという認識」はない、と言い切る剛胆さは見上げたものだ。
真実については、次のように当時のシルクロード取材班自身が
あきらかにしているのである。
■3.「特に楼蘭は撮影困難です」■
取材班が執筆し、NHKから1980年に発行されたNHKシル
クロード第3巻『幻の楼蘭・黒水域』には、以下のような記述
がある。[1,p5]
超近代兵器ICBMは私たち取材班と無関係ではなかった。
CCTV(中国中央電子台)とシルクロードの取材撮影を
交渉するなかで、最大のネックとなったのが、実はこの点
であった。シルクロード全域の取材を主張する私たちに対
して、CCTVはその一部は不可能でしょうと繰り返すの
であった。
「シルクロードのどの地域が撮影できないのですか?」
「楼蘭と黒水域です。特に楼蘭は撮影困難です」
「理由は?」
「それはみなさんが想像されるとおりです」
私たちは楼蘭が重要な軍事基地、おそらく核実験場では
ないかと想像していた。1964年から25回にわたって行わ
れた核実験は、いずれもこの地域で行われたといわれてい
る。1949年の中華人民共和国の誕生以来この地域は、国家
の最高機密の地として、外国人はもとより、中国人でさえ
特別の要人以外は立ち入ることができない。
■4.立ち入り許可の思惑■
しかし、中共政府は取材を許可した。ある思惑を秘めていた
ようだ。
しかし、その楼蘭に入ることを、日中共同取材班はつい
に許可された。たび重なる交渉の末である。これはCCT
Vのスタッフにとっても思いがけない喜びであったのか、
「楼蘭に入るのは、解放後私たちが初めてです」と何度も
繰り返すのであった。
ただし一部分は中国側だけで撮影することが条件であっ
た。したがってこの取材記のある部分は、私自身の実見に
よらないで中国側の屠団長の報告、および撮影したフィル
ムをもとに記述していることをお断りしておく。
1980(昭和55)年4月、初の外国人メディアとして、NH
Kのテレビカメラが砂漠の楼蘭遺跡を撮影した。取材班は、現
地の核爆発実験や核軍事演習のすべてを知る中国軍の新彊部隊
に引率されていたのだった。
中共政府がNHK取材班に「立ち入り許可」を与えた思惑は、
想像に難くない。軍が引率するのだから、核爆発を思わせるよ
うな場所は見せなければよい。そういう場所の撮影は中国側が
撮影しているのだから、周到な「編集」が可能である。
そして、出来上がった映像は「NHKの取材によるもの」と
して西側世界に公開される。核実験の災害などおくびにも出さ
ず、シルクロードの歴史ロマンのみを映し出す番組により、中
共政府は核実験の事実を糊塗できる。NHK取材班は、中共政
府のプロパガンダに使われたのである。
■5.「核の砂漠」■
1980年3月29日、NHK取材班は敦煌を出発し、西方430
キロメートルの楼蘭を目指した。NHK取材班5人、考古学者
の九州大学・岡崎敬教授、それに中国中央電子台職員が加わっ
て、総勢15人からなる一行であった。翌日、中国共産党軍が
合流し、それに引率される形となった。
4月11日、「さまよえる湖」と呼ばれるロブノールがある
とされる720地点についたが、それらしい湖は見つからなかっ
た。13日、80キロを北上し楼蘭の女王のミイラを撮影した。
その後、なぜか取材班は南方の720地点に戻り、そこから
北西50キロに位置する楼蘭遺跡に移動した。なぜわざわざV
字型の移動をしたのか。中共軍は、まっすぐ移動する道のりは
悪路だと説明した。
しかし、高田教授がNHK取材班の足取りと、核爆発の地点
をあわせて地図化すると、その理由が見えてきた。V字の中に、
4メガトン、2.5メガトン、2メガトン、0.6メガトンの核
爆発ゼロ地点があったのだ。核弾頭が炸裂してできたクレータ
ーなどの目撃を避けるための迂回路であったようだ。
それだけではない。4年前に行われた4メガトンの核爆発は、
長崎に投下された核爆弾の200倍の規模である。高レベルの
放射能が残留する「核の砂漠」なのだ。「核の砂」が高エネル
ギーのガンマ線を放射しており、それを浴びれば、白血病や発
ガンのリスクが増大する。
高田教授は、取材班が10日ほどの楼蘭付近に滞在したうち、
5日間、核爆発ゼロ地点に接近したとして、彼らが「核の砂」
から浴びたガンマ線の量を、84から260ミリシーベルトと
推定計算した。
これは原子力発電所や病院で核放射線作業に従事する職業人
の年間限度の50ミリシーベルトを超える危険な量をわずか5
日ほどで被曝したことになる。
■6.非人道的な核実験■
この東トルキスタン地域は、中国共産党が1949(昭和24)年
に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最
初の核実験が1964(昭和39)年10月の東京オリンピック期間
中に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。
この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつて
ソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核
実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と
比較しても明らかである。
ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移
住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出
入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外
の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。
さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風
下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。
一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかった
と、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガ
トンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。
さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかっ
た。逆に現地の農民は「(核爆発)基地では、漢人の住む方向
に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。
西に吹いた時に行っていた」と憤っている[a]。
■7.「太陽の100倍もの明るさ」■
ウイグル人医師アニワル・トフティー氏は、イギリスに亡命
し、核爆発災害のドキュメンタリー番組"Death on the Silk
Road" 『シルクロードの死神』の制作に協力した人物だが、93
年に故郷クルムの老羊飼いから聞いた体験談を東京でのシンポ
ジウムで紹介した。[1,p33]
その老羊飼いは「自分は神を見たことがある」と言った。そ
れは太陽の100倍もの明るさだった。そして地面が大きく揺
れて、凄まじい嵐になったという。彼は半身ケロイドとなった。
軍人たちが彼を病院に連れて行き、検査をした。そして彼の
100頭以上の羊をすべて買い取ったという。老人は、それか
ら2年後に亡くなった。
高田教授は、核弾頭を浅い地下に埋めたか、山裾のトンネル
の入口から近いところでの核爆発であった、と推定している。
火球が噴出し、核の砂が大量に舞い上がる。広範囲に核汚染を
まき散らす最も危険なタイプの核爆発である。
中国は90年代にこの地域で11回もの核爆発を行っており、
東トルキスタン南部のタリム盆地での石油・天然ガス油田開発
が始まった時期と一致していることから、高田教授は資源開発
に核兵器が使われたと推定している。
核爆発により地震を人工的に起こし、そこで発生した地震波
の伝わり方を調べて、地下の構造を分析する手法である。ソ連
もこの目的で12回の核爆発をシベリアで行っている。
■8.急性死亡19万人、急性放射線障害129万人■
東トルキスタンの人口は2005(平成17)年で2千万人である。
中共政府はその地で、住民を退避させることもなく、核爆発を
行った。
高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計
算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの報告値と良く
一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。
その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、
核の砂による急性死亡は19万人となった。2メガトン地表核
爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜−名
古屋間に及ぶ範囲で、急性死亡のリスクがあった。この地域で
は核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったと
いうことになる。
また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射
線障害のリスクのある地域は、風下およそ440キロメートル
に及ぶ。東京−大阪間に相当する距離である。この地域で白血
病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定さ
れた。
前述のアニワル・トフティー医師が、現地で命がけの調査を
行った結果では、漢民族でも30年以上ウイグル地域に住んで
いる人は、発ガン比率が中国全土と比べて35パーセント高い。
■9.被爆地に呼び寄せられる日本人観光客■
こういう危険な被爆地を、NHKは歴史ロマン番組として紹
介し、その結果、多くの日本人が観光客として訪問した。
楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭
和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。NHK
のシルクロード番組が放映されたのは1980(昭和55)年からで
あるが、それ以降も核爆発は続いていたのである。
ウイグル地域への日本人観光客の人数は1995年に35,071人、
1996年に36,278人というデータがある。これから、高田教授は
核爆発が続いていた1996年までの総数を27万人程度と推定し
ている。これに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年ま
での日本人観光客数は57万人と見積もられている。このペー
スだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。
急性死亡につながる核種は一か月ほどで弱まるが、高エネル
ギーのガンマ線は「核の砂」として長期間、残留し、近寄った
観光客は被曝を受ける。同時に砂塵を吸い込むことによって、
プルトニウムが肺に吸着し、以後、アルファ線が肺細胞を突き
刺す。
高田教授はシルクロード観光者の被災調査を始めたが、すぐ
に2件の情報が寄せられた。二人とも1980年代にウイグル観光
をした後、悪性リンパ腫や白血病を発症し、そのうちの一人は
亡くなった。
これは言わば、広島で1375発分の核爆発が行われている最中
に瀬戸内海の歴史ロマン番組を放送し、その危険性はいっさい
隠蔽して、毎年数万人規模の観光客を呼び寄せるのと同じこと
である。『シルクロード』は今もビデオとして販売されており、
人類史上最悪の被爆地に観光客を呼び寄せ続けている。