Dec 6, 2009

Top Secret

■1.核ハザードの危険を隠してきたNHKシルクロード番組■

 本年6月6日、「核ハザードの危険を隠してきたNHKシル
クロード番組に関する公開質問状」と題する書状が、NHK会
長・福地茂雄氏あてに突きつけられた。差出人は札幌医科大学
・高田純教授である。その一節には、こうある。[1,p72]

 私は、核爆発災害研究の専門科学者として、世界の核被
災地を調査してまいりました。そして、中国共産党がシル
クロードの要所であった楼蘭遺跡周辺での総威力22メガ
トンの核爆発により世界最悪の災害が発生したことを、確
認しました。

 その総核爆発は、広島の核の1375発分です。現地では
100万人以上のウイグルの人たちが死傷しているのです。
・・・

 その地域の被害は、広島の被害の4倍以上です。まさに
世界最大の核災害です。被害者たちは、中共政府に放置さ
れています。今、史上最悪の人権人道問題が発生している
のです。日本は唯一の被爆国ではありませんでした。

 NHKは中国軍に引率されて、核爆発が強行された周辺に
ある楼蘭遺跡を、1980年に取材しました。その後に放送し
たシルクロードロマン番組は、その核の事実を隠蔽した、
全くもって偏向した内容になっています。すなわち偽装番
組でした。・・・

 NHKのシルクロード番組に魅せられて、核爆発が続いた
1996年までに日本人観光客27万人が現地を訪れたという。そ
こが放射能に汚染された危険地域だとも知らされずに。

■2.「危険地域だったという認識は、持っておりません」■

 20日ほど後、NHK大型企画開発センター長・佐藤幹夫氏
名で、以下のような回答書が寄せられた。[1,p75]

「NHK特集 シルクロード」は、東西文明の壮大な交流
の道をたずね、その悠々の歴史と現在の姿を紹介したシリ
ーズで、1980年に放送が始まりました。シルクロードのほ
ぼ全域で外国メディアによる本格的な取材を行ったのはこ
の番組が初めてで、学術的にも貴重なエリアを紹介したこ
とはきわめて意義深いことだったと考えております。

 この番組の撮影を起こった場所が、核実験によって放射
能に汚染された危険地域だったという認識は、放送当時も
現在も持っておりません。

 以上、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 高田教授がさまざまなデータをもとに科学的に放射能被害を
推定しているのに対して、根拠もなにも示さずに「危険地域だっ
たという認識」はない、と言い切る剛胆さは見上げたものだ。
真実については、次のように当時のシルクロード取材班自身が
あきらかにしているのである。

■3.「特に楼蘭は撮影困難です」■

 取材班が執筆し、NHKから1980年に発行されたNHKシル
クロード第3巻『幻の楼蘭・黒水域』には、以下のような記述
がある。[1,p5]

超近代兵器ICBMは私たち取材班と無関係ではなかった。
CCTV(中国中央電子台)とシルクロードの取材撮影を
交渉するなかで、最大のネックとなったのが、実はこの点
であった。シルクロード全域の取材を主張する私たちに対
して、CCTVはその一部は不可能でしょうと繰り返すの
であった。

「シルクロードのどの地域が撮影できないのですか?」
「楼蘭と黒水域です。特に楼蘭は撮影困難です」

「理由は?」
「それはみなさんが想像されるとおりです」

 私たちは楼蘭が重要な軍事基地、おそらく核実験場では
ないかと想像していた。1964年から25回にわたって行わ
れた核実験は、いずれもこの地域で行われたといわれてい
る。1949年の中華人民共和国の誕生以来この地域は、国家
の最高機密の地として、外国人はもとより、中国人でさえ
特別の要人以外は立ち入ることができない。

■4.立ち入り許可の思惑■

 しかし、中共政府は取材を許可した。ある思惑を秘めていた
ようだ。

 しかし、その楼蘭に入ることを、日中共同取材班はつい
に許可された。たび重なる交渉の末である。これはCCT
Vのスタッフにとっても思いがけない喜びであったのか、
「楼蘭に入るのは、解放後私たちが初めてです」と何度も
繰り返すのであった。

 ただし一部分は中国側だけで撮影することが条件であっ
た。したがってこの取材記のある部分は、私自身の実見に
よらないで中国側の屠団長の報告、および撮影したフィル
ムをもとに記述していることをお断りしておく。

 1980(昭和55)年4月、初の外国人メディアとして、NH
Kのテレビカメラが砂漠の楼蘭遺跡を撮影した。取材班は、現
地の核爆発実験や核軍事演習のすべてを知る中国軍の新彊部隊
に引率されていたのだった。

 中共政府がNHK取材班に「立ち入り許可」を与えた思惑は、
想像に難くない。軍が引率するのだから、核爆発を思わせるよ
うな場所は見せなければよい。そういう場所の撮影は中国側が
撮影しているのだから、周到な「編集」が可能である。

 そして、出来上がった映像は「NHKの取材によるもの」と
して西側世界に公開される。核実験の災害などおくびにも出さ
ず、シルクロードの歴史ロマンのみを映し出す番組により、中
共政府は核実験の事実を糊塗できる。NHK取材班は、中共政
府のプロパガンダに使われたのである。

■5.「核の砂漠」■

 1980年3月29日、NHK取材班は敦煌を出発し、西方430
キロメートルの楼蘭を目指した。NHK取材班5人、考古学者
の九州大学・岡崎敬教授、それに中国中央電子台職員が加わっ
て、総勢15人からなる一行であった。翌日、中国共産党軍が
合流し、それに引率される形となった。

 4月11日、「さまよえる湖」と呼ばれるロブノールがある
とされる720地点についたが、それらしい湖は見つからなかっ
た。13日、80キロを北上し楼蘭の女王のミイラを撮影した。

 その後、なぜか取材班は南方の720地点に戻り、そこから
北西50キロに位置する楼蘭遺跡に移動した。なぜわざわざV
字型の移動をしたのか。中共軍は、まっすぐ移動する道のりは
悪路だと説明した。

 しかし、高田教授がNHK取材班の足取りと、核爆発の地点
をあわせて地図化すると、その理由が見えてきた。V字の中に、
4メガトン、2.5メガトン、2メガトン、0.6メガトンの核
爆発ゼロ地点があったのだ。核弾頭が炸裂してできたクレータ
ーなどの目撃を避けるための迂回路であったようだ。

 それだけではない。4年前に行われた4メガトンの核爆発は、
長崎に投下された核爆弾の200倍の規模である。高レベルの
放射能が残留する「核の砂漠」なのだ。「核の砂」が高エネル
ギーのガンマ線を放射しており、それを浴びれば、白血病や発
ガンのリスクが増大する。

 高田教授は、取材班が10日ほどの楼蘭付近に滞在したうち、
5日間、核爆発ゼロ地点に接近したとして、彼らが「核の砂」
から浴びたガンマ線の量を、84から260ミリシーベルトと
推定計算した。

 これは原子力発電所や病院で核放射線作業に従事する職業人
の年間限度の50ミリシーベルトを超える危険な量をわずか5
日ほどで被曝したことになる。

■6.非人道的な核実験■

 この東トルキスタン地域は、中国共産党が1949(昭和24)年
に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最
初の核実験が1964(昭和39)年10月の東京オリンピック期間
中に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。

 この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつて
ソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核
実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と
比較しても明らかである。

 ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移
住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出
入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外
の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。
さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風
下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。

 一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかった
と、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガ
トンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。

 さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかっ
た。逆に現地の農民は「(核爆発)基地では、漢人の住む方向
に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。
西に吹いた時に行っていた」と憤っている[a]。

■7.「太陽の100倍もの明るさ」■

 ウイグル人医師アニワル・トフティー氏は、イギリスに亡命
し、核爆発災害のドキュメンタリー番組"Death on the Silk
Road" 『シルクロードの死神』の制作に協力した人物だが、93
年に故郷クルムの老羊飼いから聞いた体験談を東京でのシンポ
ジウムで紹介した。[1,p33]

 その老羊飼いは「自分は神を見たことがある」と言った。そ
れは太陽の100倍もの明るさだった。そして地面が大きく揺
れて、凄まじい嵐になったという。彼は半身ケロイドとなった。
軍人たちが彼を病院に連れて行き、検査をした。そして彼の
100頭以上の羊をすべて買い取ったという。老人は、それか
ら2年後に亡くなった。

 高田教授は、核弾頭を浅い地下に埋めたか、山裾のトンネル
の入口から近いところでの核爆発であった、と推定している。
火球が噴出し、核の砂が大量に舞い上がる。広範囲に核汚染を
まき散らす最も危険なタイプの核爆発である。

 中国は90年代にこの地域で11回もの核爆発を行っており、
東トルキスタン南部のタリム盆地での石油・天然ガス油田開発
が始まった時期と一致していることから、高田教授は資源開発
に核兵器が使われたと推定している。

 核爆発により地震を人工的に起こし、そこで発生した地震波
の伝わり方を調べて、地下の構造を分析する手法である。ソ連
もこの目的で12回の核爆発をシベリアで行っている。

■8.急性死亡19万人、急性放射線障害129万人■

 東トルキスタンの人口は2005(平成17)年で2千万人である。
中共政府はその地で、住民を退避させることもなく、核爆発を
行った。

 高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計
算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの報告値と良く
一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。

 その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、
核の砂による急性死亡は19万人となった。2メガトン地表核
爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜−名
古屋間に及ぶ範囲で、急性死亡のリスクがあった。この地域で
は核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったと
いうことになる。

 また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射
線障害のリスクのある地域は、風下およそ440キロメートル
に及ぶ。東京−大阪間に相当する距離である。この地域で白血
病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定さ
れた。

 前述のアニワル・トフティー医師が、現地で命がけの調査を
行った結果では、漢民族でも30年以上ウイグル地域に住んで
いる人は、発ガン比率が中国全土と比べて35パーセント高い。

■9.被爆地に呼び寄せられる日本人観光客■

 こういう危険な被爆地を、NHKは歴史ロマン番組として紹
介し、その結果、多くの日本人が観光客として訪問した。

 楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭
和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。NHK
のシルクロード番組が放映されたのは1980(昭和55)年からで
あるが、それ以降も核爆発は続いていたのである。

 ウイグル地域への日本人観光客の人数は1995年に35,071人、
1996年に36,278人というデータがある。これから、高田教授は
核爆発が続いていた1996年までの総数を27万人程度と推定し
ている。これに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年ま
での日本人観光客数は57万人と見積もられている。このペー
スだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。

 急性死亡につながる核種は一か月ほどで弱まるが、高エネル
ギーのガンマ線は「核の砂」として長期間、残留し、近寄った
観光客は被曝を受ける。同時に砂塵を吸い込むことによって、
プルトニウムが肺に吸着し、以後、アルファ線が肺細胞を突き
刺す。

 高田教授はシルクロード観光者の被災調査を始めたが、すぐ
に2件の情報が寄せられた。二人とも1980年代にウイグル観光
をした後、悪性リンパ腫や白血病を発症し、そのうちの一人は
亡くなった。

 これは言わば、広島で1375発分の核爆発が行われている最中
に瀬戸内海の歴史ロマン番組を放送し、その危険性はいっさい
隠蔽して、毎年数万人規模の観光客を呼び寄せるのと同じこと
である。『シルクロード』は今もビデオとして販売されており、
人類史上最悪の被爆地に観光客を呼び寄せ続けている。

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